【神田①089】永富町

町番号:神田①089

町名:永富町

読み方:ながとみちょう Nagatomichō

区分:町丁

起立:1683(天和3)年

廃止:1934(昭和9)年12月31日

冠称:なし

現町名:千代田区内神田二丁目8番、三丁目5・6番

概要:鎌倉河岸の北に他町と入り組む形で一~四丁目があった。当町から旭町にかけての地は慶長年間(1596~1615年)以降、佐竹右京太夫の屋敷地であったが、1685(貞享2)年に上地され、1683(天和3)年に金吹町の代地となった。そこに新たに町屋が開かれ、永富町一~四丁目が起立(備考)。名主は瓜生六左衛門。町名は新開地であったため、祝名が選ばれた(画報)。1721(享保6)年、二丁目から出火した火災で町は焼け、三丁目の一部は御成街道の東に代地を与えられて移転。青物問屋が多く、連雀町神田多町とともに青物市場(青物三か町)を形成。また三丁目には「土物店」の俗称があった。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、二~四丁目は旭町に編入、残余の一丁目のみ「永富町」として存続。1872(明治5)年の戸数96・人口365(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。

1935(昭和10)年1月1日、帝都復興計画の一環により、旭町に編入となり消滅。

撮影場所:永富町

撮影地:千代田区内神田二丁目8番5号(山口ビル)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。