【神田①092】神田佐柄木町
町番号:神田①092
町名:神田佐柄木町
読み方:かんださえきちょう Kanda-Saekichō
区分:町丁
起立:元和年間(1615~1624年)以降
廃止:1935(昭和10)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「神田」
現町名:千代田区神田司町二丁目10番地、神田須田町一丁目1、6、8番地、神田淡路町一丁目1~4番地、二丁目2、4番地、神田小川町一丁目2番地と神田須田町一丁目2、4番地東側
概要:元和年間(1615~1624)以降、幕府御用の御研師佐柄木弥太郎に与えられた拝領町屋だったことに因む。佐柄木弥太郎は駿河国有渡郡佐伯木の出身で、徳川家康より研師頭を命じられた二代弥太郎のとき江戸に移住、拝領町屋を与えられ、関八州の研屋触頭を命ぜられた。奉米は59俵6斗3合、国役として江戸の研工1戸に付き1年2人が課せられていた。一説に佐柄木弥太郎が初めに開いたのは南佐柄木町という説もある(東京地理志料)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、越前大野藩 土井氏上屋敷他の武家地を合併。同年の戸数 214・人口1,111(府志料)。土井氏の屋敷には「亀の井」という名井があった(紫の一本・砂子)。
1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。
1933(昭和8)~1935(明治10)年、帝都復興計画の一環により、須田町一丁目、淡路町一・二丁目、司町二丁目のそれぞれに編入となり消滅。
撮影場所:神田佐柄木町
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