【神田①037】須田町
町番号:神田①037
町名:須田町
読み方:すだちょう Sudachō
区分:町丁
起立:慶長年間(1596~1614年)
廃止:存続
冠称:1947(昭和22)年3月15日から「神田」
現町名:千代田区神田須田町
概要:慶長年間(1596~1614年)、町割が行われる以前は須田村と称す(備考)。『寛永江戸図』には「すた丁」とある。町名は洲に拓かれた田の意か(東京地理志料)。一・二丁目があったが、1793(寛政5)年に二丁目の北部が火除地となり、外神田に代地が与えられた。当町から日本橋・京橋を経て芝口に至るまでを「通町」と汎称し、道幅が10間あった(慶長見聞集)。大商人や富豪の塗籠の屋敷が多く(東京地理志料)、水菓子問屋の多い二丁目は「朝市のたつ青梅のす田町はせる声にさへ口もかはかず」と狂歌にも読まれ(狂歌江都名所図会)、毎朝市が立った(江戸鹿子名所大全)。この市は明治以降、多町の青物市と併せて神田市場となる。また、町の東部から馬喰町四丁目にかけてを「柳原」といい、古着・古道具商が店を連ねた。なお、町内には垣を巡らした将門塚があったという(寛永記)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、丁目を廃止。同年の戸数156・人口837(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。
1933(昭和8)年、帝都復興計画の一環により、小柳町、通新石町、雉子町、佐柄木町、連雀町、多町二丁目の各一部、元柳原町、平永町、柳町、柳原河岸を合併して一・二丁目と改編。1943(昭和18)年7月1日、東京都神田区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。それに伴い、現行の神田須田町一・二丁目となる。都電の始発電停名に「須田町」があった。
撮影場所:須田町
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