【日本橋①001】本銀町

町番号:日本橋①001

町名:本銀町 一~四丁目

読み方:ほんしろがねちょう Hon-Shiroganechō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:正徳年間(1711~1715年)

復活:享保年間(1716~1735年)

廃止:1932(昭和7)年

冠称:なし

現町名:中央区日本橋本石町四丁目北部、日本橋室町四丁目北部、日本橋本町四丁目北部

概要:西は外堀、町北は「神田八丁堀」と呼ばれる竜閑川(区境を成す)に面し、一~四丁目があった。町名は、銀工が住んだのに因む。寛永の切絵図には「白かな丁」とあり、神田新銀町との混同を避けるために「本銀町」となる。明暦の大火後、竜閑川沿いに、防火のために高さ2丈4尺の土手が築かれたが、正徳年間(1711~1715年)以降は土蔵に替えたことで「土手蔵」と称され、さらに享保年間(1716~1735年)以後に再び町屋となった。町内には瀬戸物・唐和薬種等、多種の問屋があった。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数678・人口3,339(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。

1932(昭和7)年、帝都復興計画の一環により、本石町室町本町の各四丁目に編入となり消滅。現行の日本橋本石町日本橋室町日本橋本町の各四丁目の北半部にあたる。

撮影場所:本銀町一丁目

撮影地:中央区日本橋本石町四丁目5番16号(白旗神社)

002本石町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。