【日本橋①060】新材木町
町番号:日本橋①060
町名:新材木町
読み方:しんざいもくちょう Shin-Zaimokuchō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1932(昭和7)年
冠称:なし
現町名:中央区日本橋堀留町一丁目
概要:日本橋川の入堀の東堀留川東岸の区域。古くは「芝原宿」といわれる(画報・府志料)。町名は元和年間(1615~1624年)以後、材木商が多く居住したことにより、江戸橋南の本材木町に対して「新」の字を付したのに因む。町内には竹や材木を商う者が多かった(続砂子)。また、『江戸名所』には、藤原秀郷の起立と伝える椙森稲荷があった(安政再板の切絵図では堀留町二丁目)とある。東堀留川に架かる和国橋から椙森稲荷に至る道を「水森新道」(切絵図)、「稲荷新道」(備考)といった。新道の角には材木御用聞白子屋があった。東堀留川の河岸地は「東萬河岸」或いは「多葉粉河岸」(備考)と呼ばれ、紀伊徳川頼宣の生母・お万の方の化粧料として与えられたともいわれ、「お万河岸」の別称もあった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数135・人口558(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。
1932(昭和7)年、帝都復興計画の一環により、堀留町一丁目に編入となり消滅。現行の日本橋堀留町一丁目のうち。
撮影場所:新材木町
0コメント