【日本橋①079】馬喰町

町番号:日本橋①079

町名:馬喰町 一~四丁目

読み方:ばくろちょう Bakurochō

区分:町丁

起立:正保年間(1645~1648年)

廃止:存続

冠称:1947(昭和22)年3月15日から「日本橋」

現町名:日本橋馬喰町一・二丁目

概要:古くは海浜に続く草地で明暦の大火以前は寺が並んでいたという。奥州街道に向かい浅草御門の手前に位置し、江戸期以前から町屋が建設されていた(中央区史)。町名は牛馬の売買・仲介を行う幕府博労頭・高木源兵衛、富田半七が居住していたことにより、高木源兵衛が名主役を世襲した当初は「博労町」と記したが、正保年間(1645~1648年)に「馬喰町」と改称(府志料)。1602(慶長7)年の立札に「馬の売買、安馬たりとも、馬喰町の外一切停止の事」とあり、馬市の立つ町であった。

一~四丁目があり、元禄年間(1688~1704年)頃まで二丁目には願人坊主が集団で住んでいたという(淋敷座之慰・中央区史)。三丁目北側には関ヶ原の戦の前に馬揃えがなされたという初音の馬場(追回しの馬場ともいう)があった(備考・紫の一本)。明暦の大火による寺院の移転後、四丁目北側(現在の二丁目)に常盤橋内から関東郡代の屋敷が移転。1806(文化3)年の焼失後は代官3人の管掌となり、馬喰町御用屋敷となった(備考)。同屋敷は明治以後は諸県の出張所となり、1872(明治5)年に常盤橋内に移転。町内には江戸名産の付け木を作る店が多かったので「附木店(つけぎだな)」という俗称の地があり、他に「鍔店(つばだな)」、「柳原道(やなぎわらみち)」等があった(続砂子)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年までに亀井町飛地・馬喰町三丁目裏馬場及び御用屋敷を合併。172(明治5)年の戸数1,865・人口4,347(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。横山町問屋街を控え、仕入れ・売込商人の出入りが多く、江戸期から引き続き旅館が集中、「宿ゼリ」が行われたりした。しかし、交通機関の発達により、鉄道駅のない当町の旅館街は次第に衰微し、加えて大震災・戦災により古い旅館は全て姿を消した。

1933(昭和8)年、帝都復興計画の一環により、四丁目の一部が神田区に編入され、神田区東神田となる。1935(昭和10)年、富松町通塩町の一部を編入し、一~四丁目を再編成。1943(昭和18)年7月1日、東京都日本橋区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都中央区に所属。

1971(昭和46)年4月1日、住居表示の実施により、現行の日本橋馬喰町一~二丁目となる。

撮影場所:馬喰町三丁目

撮影地:中央区日本橋馬喰町一丁目6番13番(竹田屋ビル ジャパンカナ)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:寺島村大字寺島字前沼