【神田①014】神田富松町

町番号:神田①014

町名:神田富松町

読み方:かんだとみまつちょう Kanda-Tomimatsuchō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1934(昭和9)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「神田」

現町名:千代田区東神田二丁目9番東以外、10番西以外、一丁目17番西

概要:神田川の新シ橋(現・美倉橋)を挟んで両側にあった。もと神田佐久間町続きにあったが、1718(享保3)年の火災で火除地となり、内神田に代地を与えられた(神田富松町代地)。文政年間(1818~1830年)の家数47(町方書上)、隣接の神田久右衛門町と併せた地域を「大露地」といった(東京地理志料)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数308・人口1,197(府志料)。物産に木櫛、下駄があった(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。

1933(昭和8)年、帝都復興計画の一環により、一部が日本橋区に編入されて1935(昭和10)年に馬喰町四丁目に、残余は1934(昭和9)年に東神田二丁目に編入となり消滅。なお、江戸期、当町の一部商人が商売不便を訴え、外神田の旧地に小地を与えられて「神田富松町元地」と称したが、元地は1869(明治2)年、神田佐久間町の一部となる。

撮影場所:神田富松町

撮影地:千代田区東神田一丁目17番4号(三協ビル そば千東神田店)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。