【日本橋①091】矢ノ倉町
町番号:日本橋①091
町名:矢ノ倉町
読み方:やのくらちょう Yanokurachō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1971(昭和46)年3月31日
冠称:1947(昭和22)年3月15日から「日本橋」
現町名:中央区東日本橋一丁目
概要:「矢之倉町」とも書いた。江戸初期の頃からこの辺りは「谷野」といわれていた。江戸期は信濃松本藩戸田氏下屋敷等の武家地。北は薬研堀に面し、1645(正保2)年に幕府の米蔵が建てられ、「谷之御蔵」又は「矢之倉」と称した。1696(元禄11)年の火災により消失、米倉は築地に移され、薬研堀が縮小されてからも「矢之倉」の俗称は残った。
米倉移転後、幕末までこの地域は北東部が町屋に、北西及び南部は武家地となり、柳沢出羽守屋敷やいくつかの屋敷に分割された。間部氏の屋敷地となった地域の大川端方は「間部河岸」と俗称された。その後は松平壱岐守等、諸氏の邸地となった。
町名は昔から「谷野倉」、「谷蔵」、「矢ノ倉町」等の字が当てられたが、1872(明治5)年の町名設定によって俚俗の称を採り、「矢ノ倉町」と定めた。同年の戸数97・人口192(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。隅田川沿岸には砂利置場、共同物揚場、羽田へ向かう穴森汽船発着所等があった。1943(昭和18)年7月1日、東京都日本橋区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都中央区に所属。
1971(昭和46)年4月1日、住居表示の実施により、現行の東日本橋一丁目に編入となり消滅。
撮影場所:矢ノ倉町
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