【京橋①005】南鍛冶町
町番号:京橋①005
町名:南鍛冶町
読み方:みなみかじちょう Minami-Kajichō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1931(昭和6)年
冠称:なし
現町名:中央区八重洲二丁目、京橋二丁目
概要:町名は幕府の鍛冶役の居住地であったことに由来し、神田鍛冶町に対して命名。江戸期から明治初年までは東西に二丁目までがあり、煙草問屋、紀州御用の料理屋があった(買物独案内)。また一丁目には貞享年間(1684~1687年)以前の創立といわれる出世稲荷があった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1871(明治4)年までには、丁目の別が廃止となる。1872(明治5)年の戸数299・人口1,270(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府京橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市京橋区に所属。1901(明治34)年の『画報』に、「当町は他町に比して旅館多し上京者の旅宿には便利の地なり」とある。
1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、槇町二丁目、京橋二丁目に編入となり消滅。現行の八重洲二丁目、京橋二丁目のうち。
撮影場所:南鍛冶町
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