【京橋①004】南大工町

町番号:京橋①004

町名:南大工町

読み方:みなみだいくちょう Minami-Daikuchō

区分:町丁

起立:1690(元禄3)年

廃止:1931(昭和6)年

冠称:なし

現町名:中央区八重洲二丁目、京橋二丁目

概要:桶町南鍛冶町に隣接し、西は外濠に面する。寛永年間(1624~1645年)頃は「長崎町」と称した。明暦の大火後、長崎町を霊岸島に移してからは火除地となった(霊巌島長崎町)。『武江年表』の1690(元禄3)年の条と注に「長崎町の広衢を廃す(長崎丁の跡広小路は南鍛冶町桶丁の間也其の跡南大工町となる)」とある。元大工町南側の町屋をここに移したので「南大工町」となった(画報)。桶町南鍛冶町とともにこの付近は職人の町であった。南鍛冶町との境を成す新道は「藁店」と俗称された(備考)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数104・人口422(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府京橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市京橋区に所属。

1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、槇町二丁目、京橋二丁目に編入となり消滅。現行の八重洲二丁目、京橋二丁目のうち。

※『角川日本地名大辞典』には「昭和6年京橋2丁目・槇町5丁目に編入」とあるが、槇町は三丁目までしかなかった。

撮影場所:南大工町

撮影地:中央区八重洲二丁目5番1号(八重洲ブックセンター)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。