【京橋①006】五郎兵衛町

町番号:京橋①006

町名:五郎兵衛町

読み方:ごろべえちょう Gorobeichō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1931(昭和6)年

冠称:なし

現町名:中央区八重洲二丁目

概要:鍛冶橋門外にあった。町名は中野五郎兵衛が草創したことによる(府志料)。以後、子孫は名主を世襲した。町の南の通りを里俗に「古着新道」と称した(備考)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、北側の狩野屋敷を合併。1872(明治5)年の戸数174・人口730(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府京橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市京橋区に所属。

1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、槇町二・三丁目に編入となり消滅。現行の八重洲二丁目のうち。

撮影場所:五郎兵衛町

撮影地:中央区八重洲二丁目8番10号(松岡八重洲ビル)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。