【芝①039】芝新銭座町

町番号:芝①039

町名:芝新銭座町

読み方:しばしんせんざちょう Shiba-Shinsenzachō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1936(昭和11)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「芝」

現町名:港区浜松町一丁目、海岸一丁目、東新橋二丁目

概要:起立年代は不明。寛永年間(1624~1645年)までは葦沼の汐入りの地であった(砂子)。1638(寛永15)年、常陸水戸の住人鳴海兵庫が網代場であった所を新銭鋳造の場所として拝借、寛永通宝を鋳造。のち跡地に町屋を起立し「芝新銭座町」と唱えたという(備考)。本所・深川の銭座と区別するために「芝」の冠称を付す。化政期(1804~1830年)の家数53軒、うち居付地主2・家主3・地借35・店借13(町方書上)。新銭座は付近の武家地を含めた地名でもあった。浜松町一丁目1~5番、東新橋二丁目12~14番辺り。維新前後には江川太郎左衛門の大小砲練習場、慶應義塾、攻玉舎等があった。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、町南の武家地を合併。同年の戸数77・人口277(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1908(明治41)年の世帯220・人口1,034(市勢調査)。

帝都復興計画の一環により、1932(昭和7)年12月1日に一部が浜松町一丁目に、1936(昭和11)年に残部が浜松町一丁目、海岸通一丁目、汐留に編入となり消滅。現行の浜松町一丁目、海岸一丁目、東新橋二丁目のうち。

撮影場所:芝新銭座町

撮影地:港区東新橋二丁目13番7号(芝消防署)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。