【芝①061】芝車町

町番号:芝①061

町名:芝車町

読み方:しばくるまちょう Shiba-Kurumachō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1967(昭和42)年6月30日

冠称:1947(昭和22)年3月15日から1965(昭和40)年6月30日まで「芝」

現町名:港区高輪二丁目1、11・12、14、16・17番の各一部と15、18番と芝浦四丁目の一部も含むか

概要:1634(寛永11)年、増上寺の家康を祀る安国殿普請や市ヶ谷見附の石垣普請のために京都の牛持を呼び、牛車で材木等の運送に従事させた。その後、四谷木挽町、金杉牛の尻、伝馬町(どこの伝馬町か不明)、塩町(どこの塩町か不明)等で営業していたが、1639(寛永16)年に上高輪の地所4町余を大縄地を受領し、独占権を得て定住した。そのため一帯は「車町」、通称「牛町」と呼ばれるようになった。「牛町」の目前には海が広がり、月見の名所として、二十六夜待、中秋の名月には多くの人で賑わった。「高輪牛町18丁、牛の小便なァがいなァ」という児童の俗諺を生じた。

北部の一部に直接海に接する町域もあったが、大部分が東海道の往還に臨む片側町であった。現行の高輪二丁目15~18番の東部。はじめ一~四丁目があり、その後4町は一体となり、丁目はなくなった。1662(寛文2)年、町奉行支配となる。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年に芝泉岳寺門前、芝如来寺門前を、1872(明治5)年に願生寺、泉岳寺、如来寺の寺地を合併。同年の戸数328・人口1,331、物産には元結、象牙細工等があった(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。その際に、一部が西芝浦一~四丁目の一部に編入となる。

1967(昭和42)年7月1日、住居表示の実施により、現行の高輪二丁目1、11・12、14、16・17番の各一部と15、18番の全部となり消滅(芝浦四丁目の一部も含むか)。別に芝車町河岸があったが、昭和10年代(1935~1944)に車町の一部として扱われるようになった。

撮影場所:芝車町

撮影地:港区高輪二丁目1番(泉岳寺)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。