【芝①067】芝二本榎(町)
町番号:芝①067
町名:芝二本榎(町) 一・二丁目
読み方:しばにほんえのき(ちょう) Shiba-Nihonenoki(chō)
区分:俗称→町丁
起立:江戸期
廃止:1967(昭和42)年6月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「芝」
現町名:港区高輪一~三丁目
概要:江戸期は俗称だった。『江戸志』によれば、高輪一丁目27番26号の付近にあった上行寺のそばに2つの塚と、その上に榎の大樹があり、昔の一里塚であったという。上行寺境内の呼び名であったのであろうが、次第に汎く一帯の地名となったという(備考)。寺院の多い地域で、各寺院門前は「芝二本榎」を冠称した。
1869(明治2)年、起立。芝二本榎広岳院門前、芝二本榎承教寺門前、芝二本榎黄梅院門前を合併して芝二本榎一丁目、芝二本榎覚真寺門前、芝二本榎朗惺寺門前、芝二本榎相福寺門前、高輪小台町、芝二本榎上行寺門前を合併して二丁目を起立。町名は江戸期の里俗名を採用。
1872(明治5)年、寺地を合併。同年の戸数233・人口898、物産には腹掛、股引、足袋、下駄(府志料)。1874(明治7)年、二丁目の内、上行寺と円真寺の2寺は分離して新たに起立した芝二本榎本町に編入となる。
1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。同年、一丁目の一部が高輪北町に編入。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1908(明治41)年の世帯数440・人口1,839。但馬横町、大和横町、清林寺門前、長円寺門前等の里俗称があった。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
1967(昭和42)年7月1日、住居表示の実施により、高輪一~三丁目に編入となり消滅。
※町名について~俗称時代は「二本榎」と「町」は付いていない。1869(明治2)年の起立後については、Wikipediaの「港区の町名_(東京都)」には「町」は付いておらず、『東京都区分図港区詳細図』(1947(昭和22)年)にも、『角川日本地名大辞典』の「二本榎」の項にも付いていない。しかし、『角川日本地名大辞典』には、別に「二本榎町」の項が存在し、gooの古地図や『東京市芝區全圖 : 明治四十年一月調査』には「町」が付いている。
撮影場所:芝二本榎(町)二丁目
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