【芝①077】高輪北町

町番号:芝①077

町名:高輪北町

読み方:たかなわきたまち Takanawa-Kitamachi

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1967(昭和42)年6月30日

冠称:「高輪」、さらに1947(昭和22)年3月15日から「芝」

現町名:港区高輪二丁目10番5~12号、11番20~26号、12番10~45号、14番15~25号、13番、三丁目の一部

概要:高輪南町は「ちょう」と読むが、こちらは「まち」と読む。もとは荏原郡下高輪村のうち。町屋の起立年代は不明。家作ができ、町名は下高輪村のうちでも北寄りであることによる。1713(正徳3)年から町奉行・代官両支配となる(備考)。1828(文政11)年の家数144軒、うち家持7・家守25・地借2・店借97・空家13(町方書上)。近世の東海道に面し、江戸の入口となった町域で、江戸湾を前面に控えていた。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、高輪北横町と高輪常光寺門前を合併。1872(明治5)年に工部省用地、松平直致邸、寺地(播磨明石藩松平氏下屋敷、駿河沼津藩水野氏伊勢神戸藩下屋敷、浄土宗演暢山正覚寺、同宗元照山常光寺の稲荷社地)を合併。同年の戸数181・人口667(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。下高輪町芝二本榎一丁目の一部を合併。東海道本線が東側海上に通じ、東海道は京浜第一国道(国道15号)となった。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。

1967(昭和42)年7月1日、住居表示の実施により、現行の高輪二丁目10番5~12号、11番20~26号、12番10~45号、14番15~25号、13番、三丁目の一部となり消滅。

撮影場所:高輪北町

撮影地:港区高輪二丁目13番8号(区営シティハイツ桂坂 都営トミンハイム桂坂 都営バス高輪北町停留所)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。