【芝①099】白金三光町
町番号:芝①099
町名:白金三光町
読み方:しろかねさんこうちょう Shirokane-Sankōchō
区分:町丁
起立:1891(明治24)年3月
廃止:1968(昭和43)年12月31日
冠称:「白金」、さらに1947(昭和22)年3月15日から「芝」
現町名:港区白金一~六丁目、白金台四・五丁目、高輪一丁目
概要:1872(明治5)年、武家地跡に白金上三光町、白金下三光町が起立。白金村は豊島郡と荏原郡とで郡境が決まらずにいたが、1874(明治7)年には荏原郡に所属することが決定した。しかし、町地化していた当町には無関係であるはずが、両町と白金錦町は何故か荏原郡に所属。そして、1879(明治12)年、白金上三光町と白金下三光町は白金錦町とともに荏原郡今里村と合併し、東京府荏原郡白金村を起立することになり消滅。
しかし1891(明治24)年3月、東京府東京市芝区に編入され、旧今里村区域は白金今里町に、そして字上三光(旧・白金上三光町)、下三光(旧・白金下三光町)、字名光、字東名光、字西名光(名光の3字は名光坂の付近か)、字卒古台(蜀江坂の辺りか)、字松久保(場所不明)、字雷神下(雷神山児童遊園の辺りか)は、それらを併せて白金三光町として起立。これにより白金村は消滅となる。
町名は町域中央、現・白金二、四丁目の境を成す三光坂が由来。他に日月星の三光説(画報)、鈷と光の字音が近いので文字を替えたという説(案内)、蛍の名所だったためという説、上・下三光の「三光」を採ったという節、名光、東名光、西名光の3つの光からきている説(港区史他)がある。また、三光坂は明治時代には「三鈷坂」、それ以前は「三葉坂」と呼ばれていた。これは坂下の専心寺に三葉の松があり、これが鈷(武具が変じて、密教の仏具となったもの。両端が1つのもの、3つのもの、5つのもの等とがある)の三又に似ていることから「三鈷松」となり、さらに転じて「三光」となったと伝えられている。
当初は宅地も疎らな郊外的な風景を呈していたが、明治末期から急速に発展した。南部高台は華族、軍人、代議士、実業家等の大邸宅となり、北部古川沿岸低地は中小住宅、小商店工場が密集した。1908(明治41)年の世帯数1,632・人口6,875、1925(大正14)年の世帯数4,116・人口19,145。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
住居表示の実施により、一部が1967(昭和42)年7月1日に高輪一丁目に、残りの全域が1969(昭和44)年1月1日に白金一~六丁目、白金台四・五丁目の一部にそれぞれ編入となり消滅。
撮影場所:白金三光町
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