【麻布①003】飯倉片町
町番号:麻布①003
町名:飯倉片町
読み方:いいぐらかたまち Iigura-Katamachi
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1976(昭和51)年9月30日
冠称:「飯倉」、さらに1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除いて「麻布」
現町名:港区六本木五丁目、麻布台三丁目
概要:江戸期は飯倉町(飯倉10ヶ町)のうち。町屋の起原は飯倉各町に準じ、麻布東丘脈上の古街道である飯倉町通り(現行の外苑東通り)の南側の片側に面していたため「片町」と呼ばれた。1662(寛文2)年、町奉行支配となる。1828(文政11)年の総家数69軒、うち地主5・家主12・地借5・店借47。現行の麻布台三丁目1番と六本木五丁目18番の北の一部。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、町屋に南部のもと下野大田原藩邸、越後長岡藩邸他幕臣の邸地を併せて、現行の麻布台三丁目全域と六本木五丁目18番の一部を含む町域になった。1872(明治5)年の戸数77・人口414(府志料)。南面する高台で邸宅が多く、北部の通りに面して若干の商家があった。植木坂・イタチ坂・鼠坂・永坂がこの町域とその境界にある。
1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。首都高速環状線の開通で、町域西部を分断された。
住居表示の実施により、1947(昭和42)年7月1日、一部が六本木五丁目に、さらに1976(昭和51)年10月1日には残余が麻布台三丁目に編入となり消滅。
撮影場所:飯倉片町
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