【麻布①007】麻布我善坊町

町番号:麻布①007

町名:麻布我善坊町

読み方:あざぶがせんぼうちょう Azabu-Gazembōchō

区分:町丁

起立:1872(明治5)年

廃止:1973(昭和48)年12月31日

冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」

現町名:港区麻布台一丁目1~4、7番

概要:1872(明治5)年、旧幕府御先手組の屋敷地に我善坊谷があったことから、「谷」の字を除き、起立。「麻布我善房町」ともいう。同年の戸数46・人口233、物産に革鼻緒があった(府志料)。飯倉片町交差点の尾根と西久保城山町の間にある窪地の、東西に長い町。窪地の我善坊谷の由来については複数の説があるようだ。座禅をする坊がいたからという「座禅坊」説や、徳川二代将軍秀忠の夫人達子(法名「崇源院」)の葬儀の際、野辺の送りが六本木町周辺で行われ、当地に龕前堂(がんぜんどう)が置かれたためという説もある。『麻布区史』では後者の説を否定しているが、『港区史』では『麻布区史』を否定していて、なかなか定説が落ち着かないようだ。

1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。

1974(昭和49)年1月1日、住居表示の実施により、麻布台一丁目1~4、7番の一部に編入となり消滅。

撮影場所:麻布我善坊町

撮影地:港区麻布台一丁目1番(稲荷坂(我善坊谷坂)中腹)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。