【麻布①006】麻布谷町
町番号:麻布①006
町名:麻布谷町
読み方:あざぶたにまち Azabu-Tanimachi
区分:町丁
起立:1672(寛文12)年頃か
廃止:1967(昭和42)年6月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」
現町名:港区赤坂二丁目13番、六本木一丁目1~3番、二丁目1・2番
概要:もとは今井谷村、のち「麻布今井谷町」と唱えた所。今井谷村の草分けは化政期(1804~1830年)の名主・太市郎の先祖・米良太左衛門が1620(元和6)年に開拓。太左衛門の来歴等は不明。1672(寛文12)年、今井本村名主百姓と今井谷町・今井台町名主百姓との争いがあり、代官・伊奈半十郎の吟味で今井村と今井谷町・今井台町は高を分け、年貢諸役を務めることになった。その頃より「麻布谷町」と唱えた。1704(元禄17)年3月、一部が召し上げられ、三田老増町続に代地を与えられた(備考)。代地は1869(明治2)年、三田老増町に合併。1713(正徳3)年、町奉行支配となり、1731(享保16)年に家作改め御免となった。なお、町の徳兵衛地借の新兵衛の願い出により、1734(享保19)年に家作を許された飛地があった(現在の六本木三丁目1番3号)。1827(文政10)年の家数144軒、うち家持14・家主20・地借16・店借94(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、麻布今井三谷町(麻布今井山谷町とも)、麻布今井谷町、麻布今井寺町、麻布西光寺門前、麻布今井法音寺門前、麻布湖雲寺門前(町)、麻布簞笥町を合併。1870(明治3)年、もとの麻布今井三谷町(麻布今井山谷町とも)、麻布今井寺町、麻布今井法音寺門前は麻布東今井町と改称した(東京市史稿)が、1872(明治5)年、麻布今井三谷町、麻布西光寺門前の町域は再び麻布谷町となり、麻布今井寺町は麻布今井町となる。麻布簞笥町から編入した町域は、1870(明治3)年に再び麻布簞笥町となる。1872(明治5)年、先手組同心の大縄地、曹洞宗高岩山永昌寺、浄土宗観月山西光寺、同宗功徳山道源寺の寺地を合併。同年の戸数245・人口844(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1908(明治41)年の世帯667・人口2,386。明治末期には小売商と家職の者が多かった(画報)が、第二次大戦中は電車通りから三谷坂へ向かう道の両側が強制疎開に遭い、町域の西半分以上が戦災で建物の大部分を失った。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。戦後は表通りに商店、その他は中・小の住宅が多かったが、都心化現象で小ビル化が目立った。
住居表示の実施により、1966(昭和41)年7月1日に一部が現行の赤坂二丁目13番に、1967(昭和42)年7月1日には残部が現行の六本木一丁目1~3番、六本木二丁目1・2番に編入となり消滅。
撮影場所:麻布谷町
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