【麻布①013】麻布鳥居坂町
町番号:麻布①013
町名:麻布鳥居坂町
読み方:あざぶとりいざかちょう Azabu-Toriizakachō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1967(昭和42)年6月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」
現町名:港区六本木五丁目11番
概要:江戸初期に武家地がこの地にでき、延宝年間(1673~1681年)の頃には南端に麻布村が残っていたが、他は既に武家地になっており、幕末には麻布村だった場所も内田増次郎抱屋敷、北へ行くと多度津藩京極氏、戸川氏、大久保氏の屋敷であった。なお、この辺りに「田端横丁」という里俗があったというが、詳細は不明。町名は同町にある鳥居坂から付けられたが、坂の名前の起源に2つの説がある。1つには、麻布宮村町にあった麻布氷川神社は昔は今よりも大社であり(今は麻布本村町町域に移転)、二の鳥居がこの地にあったためとする説(三の鳥居は麻布永坂町にあったという)と、鳥居丹波守の屋敷があったためとする説があるが、後者の説が有力らしい。なお、「慶長の頃この地は鳥居彦右衛門に賜いしところなり。よりてかく鳥居坂の名あり」(江戸砂子)、「一説に麻布の氷川神社むかし大社なりしかば、この所にこの鳥居ありしゆへの名なり」(「江戸志」)とある。
1872(明治5)年、京極氏等の武家地を合併して起立。町名は鳥居左京亮の屋敷があったので名付けられた鳥居坂による(府志料)。同年の戸数9・人口52(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1908(明治41)年の世帯数26・人口189(市勢調査)。大邸宅の多い閑静な地域であった。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
1967(昭和42)年7月1日、住居表示の実施により、六本木五丁目11番に編入となり消滅。
※『角川日本地名大辞典』では読みが「まち」とある。
撮影場所:麻布鳥居坂町
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