【麻布①030】麻布山元町
町番号:麻布①030
町名:麻布山元町
読み方:あざぶやまもとちょう Azabu-Yamamotochō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1966(昭和41)年6月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」
現町名:港区麻布十番二・三丁目、元麻布一丁目
概要:「山本町」とも書いた。麻布山善福寺の門前町として古くから栄え、「麻布善福寺門前元町」と呼ばれていた。町域には先史時代の遺跡も残っており、南斜面で古くから人類が住むのに適した場所であったと推測される。善福寺は824(天長元)年の起立であり、古くから開けた土地だったことが分かる。
江戸市政において正式に町屋として認められたのは1652(慶安5)年であり、現在の雑式通りの両側に町屋ができたといい、門前町屋のうち最初にできたため、「麻布善福寺門前元町」と呼ばれた。門内には「柳の井」から水が溢れ、門前の人々の喉を潤したという。柳の井からの水は現代においても湧き続けている。町域西側の善福寺門内には子院がいくつも存在し、東部は上総飯野藩保科氏の屋敷で、幕末まで続いた。
前身の麻布善福寺門前元町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、「麻布山元町」と改称。町名の由来は麻布山善福寺の「山」と麻布善福寺門前元町の「元」と採った。
1872(明治5)年、上野飯野藩保科氏上屋敷、浄土真宗亀子山善福寺を合併。同年の戸数84・人口270(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。明治期には西部は寺地が多くを占め、それ以外は中流以上の住宅であったが、その後は麻布三業地の料亭等が多くなり、商店等も増えていった。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
1962(昭和37)年10月1日、麻布地区の地番整理により、一部が現行の麻布十番二・三丁目に編入。さらに1966(昭和41)年7月1日、住居表示の実施により、残部が現行の元麻布一丁目に編入となり消滅。
撮影場所:麻布山元町
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