【麻布①*045】新広尾町

町番号:麻布①*045

町名:新広尾町 一~三丁目

読み方:しんひろおちょう Shin-Hiroochō

区分:町丁

起立:1911(明治44)年5月1日

廃止:1968(昭和43)年12月31日

冠称:1947(昭和22)年3月15日から「麻布」

現町名:港区麻布十番四丁目、南麻布一~四丁目、三田五丁目、白金一、三、五丁目

概要:内容現在時は「麻布広尾町飛地」という地名だった。町域は川沿いのみでひょろ長く、一之橋から天現寺橋交差点までの古川両岸。平仮名の「く」の字のような形である。一丁目は一之橋~三之橋まで、二丁目は三之橋から四之橋まで、三丁目は四之橋から天現寺橋まで。古川両岸の葦の生い茂る湿地であったため居住には不向きであり、江戸期に人家はなかった。地図に表れるのは明治中期(1889(明治22)年頃)でその頃は「八郎右衛門新田」とあった(1887(明治20)年『迅速地図』)。

1911(明治44)年5月1日、新広尾町起立。町名由来は住民が麻布広尾町からの移転住民で占められていたため。番地の採番も麻布広尾町が79番地まで、新広尾町は80番地からと連番になっていた。木賃宿が犇めき合い、スラム街として有名となった。一之橋と二之橋辺りを「古川端」、四之橋辺りを「新堀端」と呼ばれていた。1925(大正14)年の世帯数1,309・人口5,438(市勢調査)。戦前の町況は小工場等が多く、簡易宿泊所もあった。

1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。

1962(昭和37)年10月1日、麻布地区の地番整理により、一丁目の一部が当時の麻布十番二丁目22・23番、当時の麻布十番三丁目15、17番に編入となる(ともに現・麻布十番四丁目)。

また、住居表示の実施により、1966(昭和41)年4月1日に、一丁目の残部が南麻布一・二丁目のそれぞれに、二丁目の一部が南麻布二・三丁目のそれぞれに(一部が白金一丁目、三田五丁目に変更)、三丁目の一部が南麻布三・四丁目のそれぞれ一部に(一部が白金三、五丁目に変更)、次いで1967(昭和42)年7月1日には、二丁目の一部が三田五丁目の一部に(一部が南麻布に変更)、さらに1969(昭和44)年1月1日には、二丁目の残部が白金一丁目の一部に、三丁目の残部が白金三、五丁目のそれぞれ(一部が南麻布に変更)に編入となり消滅。

撮影場所:新広尾町一丁目

撮影地:港区麻布十番四丁目6番8号(二進ビル 新橋やきとん麻布十番店)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。