【芝①080】三田

町番号:芝①080

町名:三田 一~四丁目

読み方:みた Mita

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:存続

冠称:1947(昭和22)年3月15日から1966(昭和41)年12月31日まで「芝」

現町名:港区三田二~四丁目

概要:もとは麻布領三田村のうちで、当町域は虎ノ門から品川宿までの往還で、家康の関東入国後、次第に町並となり、1662(寛文2)年に町奉行・代官両支配となった。1828(文政11)年の総家数710軒、うち家持41・家主75・地借23・店借464。嘗て松平土佐守、松平阿波等の四国大名衆の屋敷があったので、町内を「四国町」と俗称した。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、一丁目に三田春日門前、二丁目に三田常教寺門前、四丁目に芝伊皿子明下町を合併し、1872(明治5)年に各丁目に武家地・寺社地を併せた。同年の戸数579・人口2,659。物産は椅子、筆、下駄、腹掛、股引、足袋、鼻紙入、鼈甲櫛、煉油(府志料)。1871(明治4)年の春、慶應義塾が肥前島原藩邸跡に移転。以来町内は書店、食堂、喫茶店、文房具店等の集中する学生街へと変貌を見せた。

1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1908(明治41)年の世帯数695・人口3,733。1932(昭和7)年、松方正義邸跡にイタリア大使館が移転。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。

1967(昭和42)年7月1日、住居表示の実施により、芝三田小山町芝新門前町芝新門前河岸芝赤羽町麻布飯倉町五丁目を合併し新しい一丁目に、芝三田一・二、四丁目、芝三田綱町芝三田北寺町麻布新広尾町一丁目を合併し新しい二丁目に、芝三田二~四丁目、芝三田功運町芝田町四~九丁目、芝通新町を合併し新しい三丁目に、芝三田四丁目、芝三田北寺町芝三田南寺町芝三田台町一~三丁目、芝三田豊岡町芝三田功運町芝三田松坂町芝通新町芝伊皿子町を合併し新しい四丁目に、芝三田豊岡町芝三田松坂町麻布新広尾町二丁目を合併し新しい五丁目にそれぞれ再編。

撮影場所:三田四丁目

撮影地:港区三田二丁目15番45号(慶應義塾大学三田キャンパス正門前)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:品川歩行新宿