【麻布①044】麻布薪河岸

町番号:麻布①044

町名:麻布薪河岸

読み方:あざぶまきがし Azabu-Maki-gashi

区分:俗称→河岸(町丁扱い)

起立:江戸期

廃止:1962(昭和37)年9月30日

冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」

現町名:港区東麻布三丁目

概要:芝新門前町の西の方の河岸地の俗称で江戸図には見えない。『備考』の新堀端芝御霊屋御掃除屋敷代地の項に「東之方、材木薪屋土屋、右三商売人拝借地物揚地」とあり、『画報』に「薪河岸は直ちにその(新門前河岸)西の河岸地に連る河岸にして、いわゆる堀留に沿えり」とあるとおり、1698(元禄11)年、材木屋、薪屋、土屋の3商人が普請奉行に願い出てこの地を拝借、薪置場として使われていたので「麻布薪河岸」と呼ばれた。1755(宝暦5)年、許可を得て町内の往還に薪を積み置いたため(町方書上)ともいわれる。

なお、河岸が町丁と同等に扱われるようになったのは明治維新後だが、実際は近隣町丁の一部という扱いになっており、帳簿には河岸名だけが書かれていた。恐らく正式な起立は1878(明治11)年11月2日であろう。

江戸期の麻布新綱町一丁目代地と飯倉新町の辺り。『明治29年麻布区全図』は、麻布新網町一丁目の一之橋の下手に「薪河岸」と記載。現行の東麻布三丁目のうち。

1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。

1962(昭和37)年10月1日、麻布地区の地番整理により、東麻布三丁目に編入となり消滅。

撮影場所:麻布薪河岸

撮影地:港区東麻布三丁目9番地先(新一の橋交差点)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。