【赤坂①003】赤坂溜池町

町番号:赤坂①003

町名:赤坂溜池町

読み方:あかさかためいけまち Akasaka-Tameikemachi

区分:町丁

起立:1888(明治21)年

廃止:1966(昭和41)年6月30日

冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「赤坂」

現町名:港区赤坂一丁目1~5、9番の一部、二丁目1~5番

概要:町域は名前の由来のように古来大きな溜池があったところで、江戸時代初期には江戸水道の水源となっていたが、承応年中(1652~1655)年から埋め立てが始まった。埋立地は畑や空き地、或いは馬場や的場にして利用されたが、溜池は明治初年でもなお長さ1400m以上、幅は広いところで190mあったとされている。その後、排水とともに埋め立ては進み、1888(明治21)年に埋立地約13,700平方メートルに赤坂田町五~七丁目の一部を併せて当町の起立となった。東京府赤坂区に所属。溜池はその後、縮小された暗渠となり姿を消した。当町は赤坂田町と並んで赤坂第一の盛り場となった。

1889(明治22)年5月1日、東京府東京市赤坂区に所属。明治期には商店、料理店、待合、検番等が置かれ、有数の盛り場として賑わった。また、大日本農会、大日本山林会の他、東亜同文会等があった。1909(明治42)年、路面電車の外濠線が開通、山王下、溜池、葵橋の停留所が設けられた。花街は町の背後に移る。1943(昭和18)年7月1日、東京都赤坂区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。第二次世界大戦後、表通りは自動車会社や関連企業が集まる場所へと発展し、東京で最も自動車セールスの盛んな一角となった。

1966(昭和41)年7月1日、住居表示の実施により、赤坂一丁目1~5、9番の一部、二丁目1~5番に編入となり消滅。

撮影場所:赤坂溜池町

撮影地:港区赤坂二丁目4番1号(白亞ビルディング ふくの鳥溜池山王店)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。