【赤坂①004】赤坂表
町番号:赤坂①004
町名:赤坂表 一~四丁目
読み方:あかさかおもて Akasaka-Omote
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:1966(昭和41)年6月30日
冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「赤坂」
現町名:港区赤坂四丁目8・9、18号、七丁目1~3番、八丁目1、4番、元赤坂一丁目2番1~11、23号、3番4~16号、4番7号
概要:1636(寛永13)年、南伝馬町(現在の中央区京橋一~三丁目)の伝馬役3名に対し、徳川家康の関東入国以来、昼夜限らず人馬の御用に励んだ褒美として、赤坂御門外に土地を与えられ、町名を「赤坂新伝馬町」と唱えた。後に表通りを赤坂表伝馬町一・二丁目とした。
前身の赤坂表伝馬町一・二丁目として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、町名から「伝馬町」を削り、「赤坂表」となる。赤坂表伝馬町一丁目を一丁目に、赤坂表伝馬町二丁目と定火消役屋敷南部、松平出羽守下屋敷南部、向山次郎兵衛屋敷、上野吉井藩松平左兵衛督上屋敷南部を二丁目に、そしてさらに御先手与力大縄地、御先手同心大縄地、青山備中守備中屋敷北部等を三丁目、武田弘之助屋敷、紀伊殿持火除明地等を四丁目として新たに起立。同年の戸数277・人口1,164、物産に傘、鼈甲櫛等があった(府志料)。
1878(明治11)年に東京府赤坂区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市赤坂区に所属。1911(明治44)年5月1日、「表町一~四丁目」と改称。1943(昭和18)年7月1日、東京都赤坂区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。
1966(昭和41)年7月1日、住居表示の実施により、赤坂四丁目8・9、18番、七丁目1~3番、八丁目1、4番、元赤坂一丁目2番1~11、23号、3番4~16号、4番7号に編入となり消滅。
なお、東に赤坂警察署、西に赤坂区役所(現・港区赤坂地区総合支所)のあった三角地帯は『明治二十八年十二月調査 東京市赤坂区全図』では三丁目、『番地界入東京市拾五区区分図 赤坂区図』では二丁目となっている。
撮影場所:赤坂表二丁目若しくは三丁目
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