【牛込①013】市ヶ谷薬王寺前町
町番号:牛込①013
町名:市ヶ谷薬王寺前町
読み方:いちがややくおうじまえまち Ichigaya-Yakuōjimaemachi
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1911(明治44)年4月30日
冠称:「市ヶ谷」
現町名:新宿区市谷薬王寺町
概要:古くは豊島郡野方領市谷村に属し、初め旗本萩原氏の屋敷地だったが、1701(元禄14)年に返納され、薬王寺に給付され、門前町を形成した。1713(正徳3)年に町奉行支配となって「市ヶ谷薬王寺前町」と唱えた。1828(文政11)年の家数53軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、市ヶ谷南寺町、蓮秀寺、長厳寺、浄栄寺、林松寺、妙典寺、長昌寺、薬王寺と旗本久貝氏他の旗本屋敷、御先手組大縄地、東円寺墓所を併せた。同年の戸数77・人口245(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。明治中期頃の町の状況は「当町大通りは、市街にて商店軒を連ね、横丁等は知名諸士の邸宅多く」(画報)、町内に俗に「袋寺町」と称する袋小路があった。
30番地・33番地の、外苑東通りに面して存在していた肝心の薬王寺は、維新後に廃寺となり、法灯は大塚の護国寺に移された。外苑東通りが仲之町交差点から狭くなるが、市ヶ谷薬王寺前町は薬王寺の向かい62~69番地の辺りに、市ヶ谷南寺町は薬王寺の北側にあった。薬王寺は「稲荷山」と号し、真言宗大塚護国寺の末寺で、文禄年間(グレゴリオ暦では1593(ユリウス暦では1592)~1596年)からの起立だった。明治初年に護国寺境内に移転。太田道灌の勧請と伝える稲荷の小祠が境内にあった。
1911(明治44)年5月1日、「市谷薬王寺町」と改称し消滅。後身の市谷薬王寺町として、1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。
撮影場所:市ヶ谷薬王寺前町
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