【牛込①012】市ヶ谷柳町

町番号:牛込①012

町名:市ヶ谷柳町

読み方:いちがややなぎちょう Ichigaya-Yanagichō

区分:俗称→町丁

起立:寛文年間(1661~1672年)以前

廃止:存続

冠称:「市ヶ谷」、1911(明治44)年5月1日から「市谷」(当町は起立から1871(明治4)年までのみ「市ヶ谷」という説も)

現町名:新宿区市谷柳町

概要:古くは豊島郡野方領市谷村に属し、俗に「川田ヶ窪(久保)」と称していた地域の一画。寛文(1661~1672年)以前には既に町屋があり、大久保通りの北側は「川田ヶ窪(久保)」、南側は「柳町」と俗称されていた。

1713(正徳3)年に町奉行支配となり、「市ヶ谷柳町」と称す。清内屋敷は養仙院の近侍鈴木清内の拝領屋敷で、同年に町奉行支配となった。「柳町」という町名は普通は色町に使用されるが、ここは本当に柳の木が多かったことに因むといわれている。しかし詳細は不明。北側の川田ヶ窪(久保)は牛込川田ヶ久保町(牛込川田ヶ窪町)となった。1828(文政11)年の家数32軒(町方書上)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1871(明治4)年、牛込川田ヶ久保町(牛込川田ヶ窪町)、市ヶ谷甲良屋敷、清内屋敷、光徳院、御旗組大縄地、御槍組大縄地、牛込原町二丁目の一部、宗円寺、旗本屋敷を併せて町域を拡げ、「ヶ」を取り「市谷柳町」とした(「ヶ」を取るのは1911(明治44)年とも)。1872(明治5)年の戸数81・人口239(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。年内、旧市ヶ谷甲良町1番地を編入、番地の組換えを行い、町域は現在に至る。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。「旧来の市街地にして、逵路に当たり、何れへ行くも利便の地なるを以て、昔時よりも繁栄を加え、(中略)各種の飲食店並びに混堂等大抵具備せざるはなく、近傍のものここに来れば、其の用を弁ずるを得べし」(画報)。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。

撮影場所:市ヶ谷柳町

撮影地:新宿区市谷柳町25番地(柳町病院)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。