【牛込②】市ヶ谷南寺町

町名:市ヶ谷南寺町

読み方:いちがやみなみてらまち Ichigaya-Minami-Teramachi

区分:俗称→町丁

起立:江戸期

廃止:1871(明治4)年

冠称:「牛込」

後身:市ヶ谷薬王寺前町

現町名:新宿区市谷薬王寺町、河田町1番地

概要:古くは豊島郡野方領市谷村に属す。現行の外苑東通りから俗にいう「袋寺町」に入る北側の角地。町名の由来は、北方の牛込弁財天町に里俗「牛込七軒寺町」という寺町があったので、それに対応したもの。1635(寛永12)年に松雲寺の寺地となったが、1683(天和3)年に収公されて御細工方同心に給され、町屋を開いた。1828(文政11)年の家数16軒(町方書上)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1871(明治4)年、市ヶ谷薬王寺前町に編入となり消滅。

なお、現在地について、『角川日本地名大辞典』には市谷薬王寺町4番地、袋寺町は8~10番地とあるが、『大江戸今昔めぐり』では新宿区市谷薬王寺町8番地1号から10番までの町屋に「市ヶ谷南寺町」とあり、10番南から西に延びる袋小路(現・薬王寺坂通り)の奥の新宿区河田町1番地の道上に「市ヶ谷南寺町」とある。『牛込市谷大久保繪圖』を確認したが、『角川日本地名大辞典』は間違いである。

撮影場所:市ヶ谷南寺町

撮影地:新宿区市谷薬王寺町9番地(TMG市谷 めぐみ鍼灸整骨院)

市ヶ谷薬王寺門前丁 袋寺町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。