【牛込①030】牛込天神町

町番号:牛込①030

町名:牛込天神町

読み方:うしごめてんじんちょう Ushigome-Tenjinchō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:存続

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「牛込」

現町名:新宿区天神町

概要:古くは豊島郡野方領牛込村のうち。江戸期には済松寺領。町名の由来は、町域内にあった大友屋敷の天神社による。起立年代は不詳。1745(延享2)年、町奉行支配となる。町内に俚俗として「天神横町」があった。

大友屋敷はキリシタン大名大友宗麟の孫・義延の屋敷。義延は1612(慶長17)年に死去し、その子義親も1619(元和5)年に死亡したので大友家は断絶した。大友義延は敷地内に大宰府天満宮を勧請し、信仰を偽って神を擬し、隠れキリシタンの巣窟のようになっていた。牛込に120名いたと伝える隠れキリシタンは同屋敷を根拠地としていた。その死後には大奥側近の右筆・大橋龍慶の屋敷となったが、彼も隠れキリシタンと噂された。キリスト教のゼウスは天の神で天神に通じるところから天神信仰に隠れたキリシタンは多い。後に蔭涼山済松寺(榎町に現存)の寺地となったので、天神社は高田穴八幡下に移り、真定院に移り、現在は西早稲田三丁目甘泉園内の水稲荷社に合祀されている。したがって、町内に現存する北野天神の小祠はその後に勧請したもので、町名の由来となった天神社とは異なる。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、俗に「中ノ組」、「馬ノ組」と称した西丸御先手組大繩地・牛込中里村町の一部と開墾地等を併合。同年の戸数122・人口486(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。

撮影場所:牛込天神町

撮影地:新宿区天神町63番地(北野神社)

←029牛込通寺町 031牛込中里町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。