【牛込①039】牛込納戸町
町番号:牛込①039
町名:牛込納戸町
読み方:うしごめなんどまち Ushigome-Nandomachi
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:存続
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「牛込」
現町名:新宿区納戸町
概要:古くは豊島郡野方領牛込村に属し、護本山天龍寺の寺地であったが、1683(天和3)年の大火に類焼、天龍寺は四谷へ移転、その跡地が御納戸組同心の拝領町屋敷となったもので、「牛込御納戸町」と称した。御納戸役とは将軍の金銀・衣服・調度の出納、大名・旗本からの献上品、諸役人への下賜の金品の管理を司る役職。一般には家屋内の物置倉庫、場合によっては簞笥部屋や衣裳部屋を指す。納戸役は将軍だけでなく大名や公家、高家、高級旗本や大家にも置かれた。また「納戸飯」とは食事時間以外に台所から盗み出してコソコソと隠れ喰いする行儀の悪さをいった。
1828(文政11)年の家数245軒(町方書上)。町内には天龍寺に因んだ俗称が多く、天龍寺境内の竹藪があった北部を「竹町」、墓地のあった牛込御細工町との間を「墓町」、牛込二十騎町寄りは表門があったので「表大門」、牛込御細工町寄りは裏参道があったので「裏大門」といった。さらに町域の中央を東西に走る通りは、醤油と酒を売る「木津屋」という店があったので俗に「木津屋町」といった。
前身の牛込御納戸町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、西南の旗本士宅を併合し、「牛込納戸町」と改称。1872(明治5)年、南隣の市ヶ谷平山町を併合。同年の戸数270・人口1,039(府志料)。田山花袋『東京の三十年』には、明治中期における静かで美しい当町の佇まいが活写されている。
1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。
1990(平成2)年11月5日、住居表示の実施により、一部(道路のみ)を細工町と二十騎町、南山伏町のそれぞれに編入。
※町名は「なんどまち」だが、町内にある公園は「なんどちょうこうえん」という。なお、『角川日本地名大辞典』は読みを「なんどちょう」としている。
撮影場所:牛込納戸町
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