【牛込①040】牛込二十騎町
町番号:牛込①040
町名:牛込二十騎町
読み方:うしごめにじっきまち Ushigome-Nijikkimachi
区分:俗称→町丁
起立:江戸期
廃止:存続
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「牛込」
現町名:新宿区二十騎町
概要:古くは曹洞宗護本山天龍寺の寺地であったが、1683(天和3)年の火災で天龍寺が類焼して同寺は内藤新宿(現・新宿四丁目)に移転。その跡地の一部が西丸御先手組与力2組(各組10騎)に給され、俗に「牛込二十騎町」と称した(備考)。
前述のとおり、御先手1組は寄騎馬(与力)10騎なので2組で20騎、実際20区画に与力の20家があった。「騎」とは馬に人が乗った状態の数詞で、与力には乗馬が義務付けられた。「旗本八万騎」というように戦闘状態での騎馬武者の数え方。「寄騎」は「騎を寄せる」で、「従う」の意。「与力」は江戸時代に入ってからの言い方だが、「力を与ける」でやはり「従う」意。「同心」は「心を同じうす」で「協力する」の意。したがって与力は同心より格が上となる。
1871(明治4)年に起立。町名は江戸期の俗称をそのまま採用。1872(明治5)年の戸数41・人口233(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。明治中期には「従来の屋敷にて、全く邸宅地なり」とある(画報)。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。
1990(平成2)年11月5日、住居表示の実施により、二十騎町の大部分と、市谷甲良町(道路のみ)、納戸町(道路のみ)、市谷加賀町一・二丁目(道路のみ)の各一部を併せ、逆に一部(道路のみ)を南山伏町に編入し、町域を現行の「二十騎町」とした。
※『角川日本地名大辞典』では読みを「にじっきちょう」としており、日本郵便の『郵便番号一覧』には「にじゅっきまち」とある。
撮影場所:牛込二十騎町
0コメント