【牛込①009】市ヶ谷加賀町
町番号:牛込①009
町名:市ヶ谷加賀町 一・二丁目
読み方:いちがやかがちょう Ichigaya-Kagachō
区分:町丁
起立:1872(明治5)年
廃止:存続
冠称:「市ヶ谷」、1911(明治44)年5月1日から「市谷」
現町名:新宿区市谷加賀町
概要:1872(明治5)年、俗に「加賀屋敷跡」と呼ばれた武家地と市ヶ谷土取場町、近隣の武家地が合併して起立。同年の戸数54・人口260(府志料)。町名は、一丁目付近に幕初加賀百万石金沢藩主・前田光高夫人(水戸光圀の兄・徳川頼房の娘で「清泰院」と号し、1656(明暦2)年に30歳で逝去)の屋敷があったことに因んでいる。加賀屋敷跡は「加賀原」とも「清泰院屋敷」とも呼ばれた。
1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。
1984(昭和59)年11月5日、住居表示の実施により、一丁目に二丁目と市谷本村町の極一部を併せて現行の一丁目とし、二丁目の大部分に市谷本村町、市谷柳町・市谷薬王寺町の極一部(道路のみ)を併せて現行の二丁目とした。
一丁目は「東京府立第四中学あり、集英社第一工場あり(中略)十四番地は陸軍省用地にして士官学校附属の馬場あり」、二丁目は「大概邸宅なり。(中略)東京第一煙草製造第三工場あり。工場附近には多少の矮屋あり」(画報)。
現在の一丁目は大日本印刷市谷工場(本社)の他に新宿区立牛込第三中学校や社宅が主に占めており、少数の民家が残る。二丁目は市ヶ谷元土取場町と加賀屋敷跡西側の武家地・乗込馬場を併せた。現在は大日本印刷の関連施設の他に寮やマンション、そして民家が残る。また大日本印刷の関連施設は市谷加賀町のみならず、周辺地域へと拡がっている。
撮影場所:市ヶ谷加賀町二丁目
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