【牛込①065】牛込山吹町

町番号:牛込①065

町名:牛込山吹町

読み方:うしごめやまぶきちょう Ushigome-Yamabukichō

区分:町丁

起立:1872(明治5)年

廃止:存続

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「牛込」

現町名:新宿区山吹町

概要:豊島郡野方領牛込村、後に中里村のうちに起立。起立年代は未詳。江戸初期に中里村が自立し、南から次第に町場化して最後に残った中里村が1646(正保3)年に済松寺領となり、徐々に市街地化して、1717(延享2)年に牛込中里町とともに町奉行支配となる(新編武蔵・備考)。1828(文政11)年の家数65軒(町方書上)。ちなみに牛込中里町は「上中里」、牛込中里村町は「下中里」と俗称されていた。

1872(明治5)年、牛込中里村町が近隣の武家地を併合して「牛込山吹町」と改称。同年の戸数98・人口382(府志料)。俗に牛込中里町を「上中里」、当町を「下中里」と称した。

「山吹の里」とは、江戸期の小名。豊島郡野方領下戸塚村のうち(新編武蔵)。太田道灌の故事に由来する地名で、文明年間(1469~1486年)、道灌が狩りに出た折に雨に降られた。そこで傍らの農家に立ち寄って雨具を求めたところ、農家の女が山吹の花を折って捧げ、「七重八重花はさけども山吹のみのひとつだになきぞかなしき」(後拾遺集 兼明親王の歌)と誦した。道灌はその女を賞歎して、この場所を「山吹の里」と名付けたという。『江戸名所』では、道灌が立ち寄ったと伝える地を「高田の馬場より北の方の民家の辺」に比定している。なお、山吹を捧げた女性は老女とも(老子語録)、美女とも(常山紀談)いうが、名は「紅皿」といったと伝え、新宿区東大久保の大聖院には紅皿の碑が建てられている。なお、太田道灌の山吹の里伝説所縁の地を主張する町は埼玉・神奈川まで含めて20ヶ所以上も存在。しかしこの話が世に出たのは、江戸時代の『武功夜話』が初出であり、道灌時代に起きた伝承ではない。なお、「山吹の里」を戸塚とする異説もある。

1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。「一円に茗荷畑なりき。表通りは較市廛の形を成せど悉皆新開地なり」(画報)。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。

1982(昭和57)年10月31日、土地区画整理事業の換地処分に伴い地番が変更された。

撮影場所:牛込山吹町

撮影地:新宿区山吹町291番地1号(山吹町交差点 藤和シティホームズ神楽坂)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:品川歩行新宿