【牛込①067】早稲田鶴巻町

町番号:牛込①067

町名:早稲田鶴巻町

読み方:わせだつるまきちょう Waseda-Tsurumakichō

区分:小名→町丁

起立:1891(明治24)年3月

廃止:存続

冠称:「早稲田」

現町名:新宿区早稲田鶴巻町

概要:古くは豊島郡野方領早稲田村。その早稲田村の小名だったが、町名の由来は小日向村で放し飼いにされていた鶴が飛来するため、鶴番を置いたことによる(新編武蔵)という説と、蟹川流域であるがための湧水(水流巻き=つるまき)という説がある。

前身の南豊島郡早稲田村、村名は『田園簿』、『元禄郷帳』、『天保郷帳』に見えず、『旧高旧領』のみ記載あり。『旧高旧領』の村高は97石余で、済松寺領東は中里村、西は下戸塚村・牛込村、南は早稲田町、北は関口村に接す(新編武蔵)。『新編武蔵』によれば、「早稲田村は元牛込村の地にて、小名早稲田と唱えしを何の頃よりか別村となれり」とあり、また1745(延享2)年、1町5反余の地が町奉行の支配に属し、早稲田町になったという。同書によれば化政期(1804~1830年)の戸数20、「村内多く茗荷を植えて江戸に鬻ぐ、之を早稲田茗荷と称せり」とあるとおり、当時の蟹川はそれほど水が澄んでおり、早稲田村のうちで市街化が一番遅れ、「一望際涯なく、広漠なる田野なり。明治十五年創めて戸塚村に大隈伯が早稲田専門学校の設けあり、爾来日に月に開き行きて、三十六年該校が大学の地位に昇れるや、学生の来りて此に游ぶ者、愈々其多きを加え、茗荷畠は次第に開拓せられて、寄宿舎となり、下宿屋となり、ミルクホール、珈琲店となり、書籍文具商となり、期年にして其の俤を一変するに至れり」(画報)。

前身の早稲田村として、1871(明治4)年に東京府に所属。1872(明治5)年の戸数38・人口178(府志料)。

1878(明治11)年11月2日の「郡区町村編制令」により東京府南豊島郡の所属となり、1879(明治12)年に中里村の一部を、1885(明治18)年に牛込村の残りを併せた。1889(明治22)年5月1日、早稲田村のまま東京府東京市牛込区に所属。1891(明治24)年3月、現行の「早稲田鶴巻町」と改称。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。

1982(昭和57)年10月31日、土地区画整理事業の換地処分に伴い、地番が変更された。

撮影場所:早稲田鶴巻町

撮影地:新宿区早稲田鶴巻町530番地(鶴巻町天祖神社)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。