【牛込①068】神楽河岸

町番号:牛込①068

町名:神楽河岸

読み方:かぐらがし Kagura-Gashi

区分:河岸(町丁扱い)→町丁

起立:明治初年か

廃止:存続

冠称:なし

現町名:新宿区神楽河岸、千代田区飯田橋四丁目

概要:神楽坂下の飯田濠にあった荷揚場。牛込御門橋と船河原橋の東岸。地名となったのは年代不明。第二次世界大戦後も暫く使われていた。

『明治29年牛込全図』は、牛込御門橋と船河原橋の東を「神楽河岸」と記載。対岸は「市兵衛河岸」であるが、もとは両岸とも「市兵衛河岸」と称した。『画報』に「神楽河岸 牛込門外の北岸にして神楽町一丁目より揚場町及び下宮比町の一部なる前面に横わる一帯の河岸地をいう。もと「市兵衛河岸」又は「市兵衛雁木」という。そは昔、此所に岩瀬市兵衛の屋敷ありしによる」とある。地名は1939(昭和14)年の『東京府市区町村便覧』に牛込区の町名として見える。また、嘗ては「揚場河岸」とも呼ばれていたようだ。この「揚場」は隣の新宿区揚場町の由来にもなっている。起立時は不明だが、恐らく明治の初年であろうと思われる。そのため、明治維新以降から記述しておく。

1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。

1970年代以降、水質汚濁等、環境悪化により、飯田濠は埋め立てられ、再開発されることになった。これに伴い1983(昭和58)年8月6日(18日とも)、濠跡部分の千代田区と新宿区の境界線が変更された。境界変更は、両区の面積が変わらないように、千代田区飯田橋四丁目の一部と新宿区神楽河岸の一部を等面積交換する形で実施された。従来は濠の中央が境界だったが、変更後は濠跡の南側が新宿区神楽河岸、北側が千代田区飯田橋となった。これにより、濠跡に建設された飯田橋セントラルプラザの2つの建物のうち、事務棟が新宿区、住宅棟が千代田区にそれぞれ属することとなった。1988(昭和63)年2月15日、住居表示の実施により、一部(道路のみ)を下宮比町に編入し、神楽河岸の大部分、揚場町(道路のみ)、下宮比町(道路のみ)、神楽坂一丁目(道路のみ)の各一部を併せた町域を現行の「神楽河岸」とした。半分は神田川の暗渠部分。

撮影場所:神楽河岸

撮影地:新宿区神楽河岸1番(東京メトロ飯田橋駅B2a出入口)

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参考:区境ホール~大きな茶色い菱型のタイルが区境を示す。区境変更前においては、上の3人は千代田区に、下の1人は新宿区にいることになるが、変更後の今では母親と乳母車の赤ちゃんは千代田区に、他の2人は新宿区にいることになる。

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。