【小石川①062】関口台町

町番号:小石川①062

町名:関口台町

読み方:せきぐちだいまち Sekiguchi-Daimachi

区分:町丁

起立:1682(天和2)年

廃止:1966(昭和41)年12月31日

冠称:「関口」

現町名:文京区関口一~三丁目、目白台一丁目、音羽一丁目

概要:目白坂沿いに位置していた。もとは豊島郡関口村の畑地。1682(天和2)年、町屋が許可され、1720(享保5)年から町奉行・代官両支配となる。町名は「目白台」と称される台地上の町の意(備考)。江戸期の町内には御水奉行太田新左衛門の屋敷があったのに因み、「水屋敷」と称する所があった。目白台上の当町は江戸期から景勝の地として知られ、大正末期の様子が永井荷風の『礫川樺椛記』に記されている。台地上の西側の椿山は鎌倉期から椿の名所として知られていた。明治期には山県有朋の別荘が置かれ、椿山荘と号した。台地上から神田上水へ下る坂を「胸突坂」といい、坂東側の関口芭蕉庵は神田上水堀割工事を司ったといわれる松尾宗房(芭蕉)の遺跡。芭蕉庵は寛延年間(1748~1751年)に宗瑞・馬光の俳人が五月雨塚を築いたのがはじまりと伝える(江戸名所)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年7月、肥後熊本藩細川氏・上総久留里藩黒田氏・大和柳生藩柳生氏等の武家地、日蓮宗泉光山蓮華寺等の寺社地を合併。同年の戸数91・人口320(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。明治期には田中光顕伯爵の邸内に入った。また、胸突坂西側には水神社があった。関口台町の町域は隣の関口町と複数箇所の入れ子になっていた。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。1902(明治35)年、独逸学協会学校(独協学園)が麹町から移転。その他、天主公教会があった。1914(大正3)年、江戸川(神田川)縁に江戸川公園が設置され、大滝橋下流の一帯は遊覧地として賑わったが、明治末期には大滝橋下の滝壺で投身自殺する者もあった。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

1967(昭和42)年1月1日、住居表示の実施により、関口一~三丁目、目白台一丁目、音羽一丁目に編入となり消滅。

※『角川日本地名大辞典』には「同(昭和)42年現行の関口1・3丁目、目白台1丁目、音羽1丁目となる」とあるが、関口二丁目もである。

撮影場所:関口台町

撮影地:文京区関口二丁目10番8号(ホテル椿山荘東京)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。