【小石川①065】高田豊川町

町番号:小石川①065

町名:高田豊川町

読み方:たかだとよかわちょう Takada-Toyokawachō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年6月

廃止:1966(昭和41)年12月31日

冠称:「高田」

現町名:文京区目白台一・二丁目

概要:1869(明治2)年6月、江戸期の伝通院領小石川四ツ家町が改称して起立。1872(明治5)年7月、大岡主膳正、志摩鳥羽藩稲垣氏下屋敷、先手組与力組屋敷等の武家地、付近の旧武家地や本住寺境内等を編入した。町名は江戸期、当地にあった豊川稲荷に因む。同年の戸数43・人口158(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。西側は東京府北豊島郡高田村大字高田豊川(現・豊島区高田一丁目)となった。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。飛地は北豊島郡高田村の大字高田豊川(高田豊川町)となる。1891(明治24)年、小石川村飛地字豊川、高田村字神明下(耕地を除く)を合併(『文京区史』には「1901(明治34)年3月」とある)。同年、人間・婦人・国民としての女子教育を目的とした日本女子大学校(現在の日本女子大学)が成瀬仁蔵により創立。また町内には明治期の海軍軍人の樺山資紀伯爵が居住していた。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

1967(昭和42)年1月1日、住居表示の実施により、目白台一・二丁目に編入となり消滅。

撮影場所:高田豊川町

撮影地:文京区目白台一丁目5番(豊川稲荷神社)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。