【本郷①006】本郷東竹町
町番号:本郷①006
町名:本郷東竹町
読み方:ほんごうひがしたけちょう Hongō-Higashi-Takechō
起立:1869(明治2)年
廃止:1933(昭和8)年2月
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「本郷」
現町名:文京区本郷二・三丁目
概要:前身の本郷竹町は江戸期に成立。元和年間(1615~1624年)、小人衆の大縄拝領地となる。町名は元禄年間(1688~1704年)、竹木商人が集住していたので「竹屋町」といったが、後に「本郷竹町」と称するようになったという(備考)。化政期(1804~1830年)の家数331軒(町方書上)。町は南・北の2つに分かれ、北の方の町屋には「新屋敷」、南の方の町屋は嘗ての神田川御堀端河岸通りにあった町屋の代地となって「竹町河岸通」と俗称。また、「東竹町」、「西竹町」の俗称もあった。
前身の本郷竹町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、江戸期には俗称だったが、本郷東竹町、本郷西竹町に正式に分裂しそれぞれ起立。1872(明治5)年の戸数172・人口685(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府本郷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本郷区に所属。明治初年から昭和初期まで寄席若竹亭があり、済生学舎の学生で賑わい、また徳田秋声も常連客の1人であった。当町には京華中学校・東京裁縫学校があった(画報)。
1933(昭和8)年、帝都復興計画の一環により、当時の本郷一丁目に編入となり消滅。現行の本郷二・三丁目のうち。
撮影場所:本郷東竹町
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