【本郷①005】本郷元町
町番号:本郷①005
町名:本郷元町 一・二丁目
読み方:ほんごうもとまち Hongō-Motomachi
区分:町丁
起立:1696(元禄9)年
廃止:1965(昭和40)年3月31日
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「本郷」
現町名:文京区本郷一・二丁目
概要:神田川の北に位置する。もとは豊島郡峡田領本郷村。江戸初期は神田川沿いまで御弓同心の組屋敷。その組屋敷が小石川・大塚へ移転した後、1618(元和4)年、家康の関東入国の際に従った供衆の大拝領地となった。1696(元禄9)年、町屋が許された。町名は本郷のうちで最初に地割をしたことによる(備考)。化政期(1804~1830年)は中間方の大縄拝領屋敷(備考)。化政期(1804~1830年)の家数769軒(町方書上)。元禄年間(1688~1704年)頃、当町は「神田台町」、「神田御中間町」と呼ばれていた。また明和年間(1764~1771年)には一~四丁目ごとに分かれ、化政期(1804~1830年)は一・二丁目を「上町」、三・四丁目を「下町」と俗称し、南の方の町屋を「元町河岸」ともいった(備考)。南側の神田川沿いを、元禄年間将軍御成りの時、鶯の初音を聞いたので「初音のやぶ」と俗称(備考)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、町内を一・二丁目に分け、1872(明治5)年に讃岐高松藩松平氏中屋敷、美濃郡上藩青山氏上屋敷等の武家地、浄土宗嶺松山昌清寺、真宗青柳山興安寺、新義真言宗三念寺等の寺地を合併。同年の戸数735・人口2,523(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府本郷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本郷区に所属。一丁目の一部を買収し、本郷給水場が建設され、1899(明治32)年完成。淀橋浄水場の水を分送し、小石川・本郷・神田・下谷・浅草・本所の各区に給水。町の北側の壱岐坂上には習性尋常高等小学校があった。1943(昭和18)年7月1日、東京都本郷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1965(昭和40)年4月1日、住居表示の実施により、元町一丁目は本郷二丁目の一部に、元町二丁目は本郷二丁目の一部に編入となり消滅。
撮影場所:本郷元町一丁目
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