【本郷①008】本郷真砂町
町番号:本郷①008
町名:本郷真砂町
読み方:ほんごうまさごちょう Hongō-Masagochō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1965(昭和40)年3月31日
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「本郷」
現町名:文京区本郷一・二、四丁目
概要:寛永(1624~1644年)以来、「本郷真光寺門前」と称して桜木神社前の一部だけが町屋であった。1869(明治2)年、本郷真光寺門前が古庵屋敷を併せて起立。町名は浜の真砂の限りないようにと町の繁栄を願っての命名。1872(明治5)年、上野高崎藩松平氏、信濃上田藩藤井氏等の武家地を合併。同年の戸数134・人口699(府志料)。
松平右京亮の中屋敷跡は「右京ヶ原(右京山とも)」といわれ、長らく原っぱであった。富田常雄の名作『姿三四郎』の三四郎と源三郎の対決の舞台となった。 他にも泉鏡花の『婦系図』では恩師・酒井先生の”真砂町の先生”でよく知られている。
近年、真砂坂として知られている坂は本名を「東富坂(東鳶坂)」という。但し、本来の「東富坂」は坂の南の地下を通る東京メトロ丸ノ内線に沿った狭い急坂のこと。現在は「旧東富坂」と呼ばれている。もともとの坂は江戸の頃、木が生い繁り、鳶がたくさん集まってくることから「鳶坂」といい、いつの頃からか「富坂」と呼ぶようになったという。また、春日町交差点の谷(二ヶ谷)を挟んで、東西に坂が跨って飛んでいるため、「飛坂」ともいわれた。
現在の東富坂は、本郷三丁目から伝通院まで路面電車(市電)を通すにあたり、旧東富坂上から春日町交差点まで新しく開いた緩やかな坂道である。市電は1908(明治41)4月11日に開通。現在、文京区役所を挟んで反対側にある坂を「富坂(西富坂)」と呼び、区別されている。
1878(明治11)年11月2日、東京府本郷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本郷区に所属。1896(明治29)年、本郷連隊区司令部が開設された。明治中期には二葉亭四迷、坪内逍遥、嵯峨の屋御室、長谷川如是閑等の文人が居住。1943(昭和18)年7月1日、東京都本郷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1965(昭和40)年4月1日、住居表示の実施により、現行の本郷一・二、四丁目に編入となり消滅。
撮影場所:本郷真砂町
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