【本郷①026】駒込西片町


町番号:本郷①026

町名:駒込西片町

読み方:こまごめにしかたまち Komagome-Nishi-Katamachi

区分:町丁

起立:1872(明治5)年

廃止:存続 「西片」として

冠称:1964(昭和39)年7月31日まで「駒込」

現町名:文京区西片一・二丁目

概要:古くは豊島郡駒込村のうち。この地一帯は1610(慶長15)年、武蔵鳩谷領主阿部正次の中屋敷となる。阿部正次は家康四天王の1人に挙げられ、禄高9万9,000石を有する譜代大名で、幕府は街道筋に屋敷を置くことで江戸城防備、外様大名の牽制役とした。日米和親条約締結の際の老中阿部正弘は1852(嘉永5)年に「中庸」の「誠之者人之道也」の語を採って藩校誠之館を建設。明治以後「誠之舎」と称したが、公立学校開設の要求で、屋敷地の一部と校舎用建物を寄付した。

1872(明治5)年、備後福山藩阿部邸と幕府徒士組屋敷等を合併して起立。尾根道の中山道(本郷通り)を挟んで両側が町になり、その際、1869(明治2)年起立の街道東側「駒込東片町」に対して西側を「駒込西片町」と名付けた。同年の戸数32・人口147(府志料)。

谷下は庶民の居住地であった。備後福山藩主阿部家の中屋敷を、明治から昭和初期にかけて、阿部家自らが高級住宅地として開発した。結果、一面が「西片町10番地」となり、その枝番も錯綜してしまったため、正式な住所ではないものの、いろは順による一種の住居表示が行われていた。

誠之舎の名は、1875(明治8)年開校の誠之小学校に引き継がれる。明治期、6万坪に及ぶ阿部家の屋敷地は1万坪を自宅宅地に残して貸地として公開された。阿部家門前の広場には注連縄を張った椎の巨木があったという。明治期の当町は付近に帝国大学を控えているため、歌人佐佐木信綱、経済学者田口卯吉、詩人上田敏をはじめ、二葉亭四迷、夏目漱石等が居住し、「学者町」ともいわれた。明治期の当町について、徳田秋声は『大学界隈』に「郊外の文化住宅地で、竹の骨に苗木の要をあしらったような低い垣根が多い」と描写している。

1878(明治11)年11月2日、東京府本郷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本郷区に所属。1894(明治27)年5月、樋口一葉はに転居し、『たけくらべ』を始めとする代表作を執筆し、亡くなるまで居住した(旧・丸山福山町4番地)。同地には後に森田草平も居住した。1943(昭和18)年7月1日、東京都本郷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

住居表示の実施により、1964(昭和39)年8月1日に、当町、柳町田町丸山福山町の各一部を西片一丁目に、森川町東片町の各一部を西片二丁目に再編。

撮影場所:駒込西片町

撮影地:文京区西片二丁目7番(曙坂下)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:品川歩行新宿