【小石川①024】小石川柳町
町番号:小石川①024
町名:小石川柳町
読み方:こいしかわやなぎちょう Koishikawa-Yanagichō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1964(昭和39)年7月31日
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「小石川」
現町名:文京区西片一丁目、小石川一、三丁目
概要:古くは豊島郡小石川村の内。1623(元和9)年、伝通院領となる。1653(承応2)年、百姓町屋が許され、1745(延享2)年より町奉行支配となる(備考)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年5月、小石川伝通院裏門前町、小石川下富坂町飛地(東側)、武家地を合併。1872(明治5)年8月、近接の地(小十人町か)を併合。同年の戸数107・人口334(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。1888(明治21)年、跡見花蹊による跡見女学校が中猿楽町より移転(1902(明治35)年、岡本かの子が跡見女学校に入学して寄宿生活を送った。)。1887(明治20)年頃まで付近には水田が広がっていたが、以後開発されて「新開」と俗称した(画報)。当町の様子は樋口一葉の『にごりえ』に描かれ、砲兵工廠の工員が多数居住していた。小杉天外は『初すがた』の中で「此辺に彷徨く職工を主なる対手に銘酒屋・射的屋などごたごたと軒を並べた柳町の裏通に……」と述べている。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1964(昭和39)年8月1日、住居表示の実施により、西片一丁目、小石川一、三丁目に編入となり消滅。
『新撰區分東亰明細圖』には「小石川柿丁」と書かれている…。
撮影場所:小石川柳町
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