【本郷①028】駒込浅嘉町

町番号:本郷①028

町名:駒込浅嘉町

読み方:こまごめあさかちょう Komagome-Asakachō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1966(昭和41)年3月31日

冠称:「駒込」

現町名:文京区本駒込一、三丁目、向丘二丁目

概要:もとは豊島郡駒込村の百姓地。元和年中(1615~1624年)に青山浅河町とともに黒鍬方100人の大縄拝領地(黒鍬組町)となった(備考)。青山が土地不足となって当地に黒鍬者の居住地が充てられたという話もある。化政期(1804~1830年)の家数91軒(町方書上)。駒込肴町に近い場所を一丁目、駒込片町に近い場所を二丁目と俗称。「青山浅河町」との混同を避けて「浅嘉町」とした。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、駒込高林寺門前、駒込天栄寺門前を合併。1872(明治5)年、さらに天台宗梵光山円林寺、浄土宗地久山天栄寺、同善亀山常徳寺等の寺地を合併。同年までに一部が駒込片町へ編入。同年の戸数198・人口790(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府本郷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本郷区に所属。1891(明治24)年、下駒込村字内海を合併。当町には江戸期から府内の3大市場の1つの青物市が立てられていた。江戸期には駒込の土物店(土物町)と称されて、その範囲は当町及び駒込高林寺門前、駒込天栄寺門前の3ヶ町に亘っていた。「土物」とは大根、牛蒡等土の付いたままの野菜をいう。この青物市の起源は天和年間(1681~1683年)と伝え、周辺の農民が野菜を担いで江戸に出る途中、住民との間で売買が始まったことに由来する。『備考』には14名の青物問屋の名が見える。大通りに面して立てられていた市は、1901(明治34)年、光林寺境内に移転。1905(明治38)年の問屋数は11軒、仲買11軒(画報)。大正期には問屋24軒・仲買15軒を数えた。1943(昭和18)年7月1日、東京都本郷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

住居表示の実施により、1965(昭和40)年4月1日に向丘二丁目に、残余は1966(昭和41)年4月1日に本駒込一、三丁目に編入となり消滅。

撮影場所:駒込浅嘉町

撮影地:文京区本駒込三丁目7番14号(徳源院)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。