【下谷①001】下谷二長町

町番号:下谷①001

町名:下谷二長町

読み方:したやにちょうまち Shitaya-Nichōmachi

区分:町丁

起立:1872(明治5)年

廃止:1963(昭和38)年12月31日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「下谷」

現町名:台東区台東一・二丁目

概要:1872(明治5)年、対馬厳原藩宗家5万2,000石上屋敷、伊勢久居藩藤堂家5万3,000石上屋敷を中心に近隣の武家地が合併して起立。町名はこの地が江戸時代より「二丁町」と呼ばれていたことに由来する。二長町とは、この地を東西に横切る小路に付けられたとされているが、その由来は明らかではない。この小路が東西に二丁あったからではないだろうか。江戸時代は武家地であったため町名が付されておらず、町としての発展は下谷二長町となった明治以降である。江戸後期の文化・文政期(1804~1830年)に活躍した画家・谷文晁がこの地に住んでいた。同年の戸数130・人口660(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1892(明治25)年、浅草猿若町から市村座がこの地に移転して来てから賑わい始め、下谷二長町の名は東京中に知れ渡った。明治30年代頃、東京郵便局厩舎課があり、市内に郵便物を輸送する赤塗りの馬車が発散集合していたことも『新撰東京名所図会』は述べている。1932(昭和7)年、楽屋からの失火で市村座が焼失。以後再建されず、寛永期から櫓を上げ続けていた市村座が歴史に幕を下ろす。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

1964(昭和39)年1月1日、住居表示の実施により、蔵前橋通りの南側が台東一丁目に、北側が台東二丁目に編入となり消滅。

撮影場所:下谷二長町

撮影地:台東区台東二丁目6番2号(井上彫工)

002下谷竹町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。