【浅草①070】浅草猿若町

町番号:浅草①070

町名:浅草猿若町 一~三丁目

読み方:あさくささるわかちょう Asakusa-Saruwakachō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1966(昭和41)年9月30日

冠称:1911(明治44)年5月1日から1947(昭和22)年3月14日までを除く期間と1966(昭和41)年まで「浅草」

現町名:台東区浅草六丁目、花川戸二丁目

概要:天保改革の際、幕命によって開かれた芝居町。町名は江戸歌舞伎の創始者・猿若(中村)勘三郎に因む。当地は嘗て浅草山之宿町に属し、後に丹波園部藩小出氏2万6,000石下屋敷となっていたが、日本橋界隈の芝居小屋が焼失したのを機に、江戸の中心街から離れた。当地に1万8,000坪を下げ渡して移転を命じた。古川柳に「とんだこと山が河原となりました」とある。南から北へ一~三丁目に分かれ、一丁目に中村座、二丁目に市村座、三丁目に河原崎座(後に森田(守田)座)が東側、向かい側に薩摩座(一丁目)・結城座(二丁目)の繰人形2座、その間を縫って芝居茶屋が並んでいた(画報)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数285・人口1,277(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。芝居小屋は1892(明治25)年までにいずれも他へ移転した。

1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、一丁目の一部が花川戸二丁目に編入となる。1943(昭和18)年7月1日、東京都浅草区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。

1966(昭和41)年10月1日、住居表示の実施により、現行の浅草六丁目に編入となり消滅。

撮影場所:浅草猿若町一丁目

撮影地:台東区浅草六丁目2番1号(東京信用金庫浅草支店)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。