【下谷①016】下谷豊住町
町番号:下谷①016
町名:下谷豊住町
読み方:したやとよずみちょう Shitaya-Toyozumichō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年5月
廃止:1965(昭和40)年7月31日
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「下谷」
現町名:台東区上野七丁目、下谷一丁目
概要:1869(明治2)年5月に起立。この附近は、千束池から繋がる沼沢地で葦が生い茂っていたという。1590(天正18)年、家康が関東に入国した後、埋立てが始まり、1624(寛永元)年、御切手同心が幕府からこの地を拝領した。1699(元禄12)年には町地として起立し、「下谷御切手町」と称した。当時は凡そ40軒の地主がおり、町奉行の支配を受けた。
前々身の下谷御切手町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。その際、「御」の字を取って「下谷切手町」と改称。1869(明治2)年5月にはさらに「下谷豊住町」と改められた。由来は町の繁栄を祈ってのことと考えられる。1872(明治5)年の戸数317・人口1,075(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。関東大震災後に昭和通りの建設が始まると町の東側が狭められ、1937(昭和12)年の区画改正では、西側の一部が坂本一丁目の起立に際して編入となり(現・下谷一丁目)、町域が狭まった。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。
1965(昭和40)年8月1日、住居表示の実施により、南側の一部が上野七丁目13番に、北側が下谷一丁目1~4、9番に編入となり消滅。
撮影場所:下谷豊住町
撮影地:台東区下谷一丁目5番(三峰神社)
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