【下谷①022】下谷善養寺町

町番号:下谷①022

町名:下谷善養寺町

読み方:したやぜんようじちょう Shitaya-Zenyōjichō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年10月

廃止:1937(昭和12)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「下谷」

現町名:台東区上野七丁目15番

概要:善養寺は天長年間(824~834年)に上野山中で開基され、天台宗上野寛永寺の末寺となった。当地はその門前町として、「下谷善養寺門前」と呼ばれた。善養寺は「薬王山」と号し、天台宗上野寛永寺の末寺で、天長年間(824~834年)に天海僧正が後の寛永寺境内に創建、寛永年間(1624~1645年)に上野山下に移転した。1718(享保3)年に町屋の開設を許された(寺社書上)。1828(文政11)年の家数23軒(町方書上)。

前身の下谷善養寺門前として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年10月、「下谷善養寺町」と改称。1872(明治5)年の戸数20・人口82(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。善養寺は「明治三十四年十月新たに大日本教療院と称する慈善病院を設立し、普く無告の窮民を救済する所あらむとす、…施療を請う窮民、日々百数を以て算」(画報)した。1912(明治45)年、鉄道線路敷設のため、善養寺は現在の豊島区西巣鴨四丁目8番25号に移転となるが、その後も町名は存続した。

1937(昭和12)年、帝都復興計画の一環により、坂本一丁目に編入となり消滅。

※現町名は、Wikipediaでは「下谷一丁目」、『角川日本地名大辞典』では「下谷一丁目5番の一部」とあるがどちらも誤り。当町の全域が鉄道用地に転用されており、そうなれば現町名は上野七丁目15番ということになる。したがって、旧町域に入っての撮影は電車に乗りながらでないと不可能である。

撮影場所:下谷善養寺町

撮影地:台東区上野七丁目15番(JR常磐線線路敷上)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。