【浅草①012】浅草瓦町

町番号:浅草①012

町名:浅草瓦町

読み方:あさくさかわらまち Asakusa-Kawaramachi

区分:町丁

起立:1616(元和2)年

廃止:1934(昭和9)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「浅草」

現町名:台東区浅草橋一丁目30番、浅草橋二丁目1番、柳橋二丁目6番

概要:古くは豊島郡峡田領鳥越村のうち。1616(元和2)年起立。町名は瓦職人が多く居住していたことに由来する(備考)。浅草見附を出て奥州街道を北上すると、西側に2ヶ所、東側に1ヶ所あった。『府志料』には以下のようにある。「此町元和二年町屋ヲ開キ瓦職人居住セシ故ニ町名トス。又此町地続ニ享保ノ頃松平甲斐守邸アリ後上地トナリテ市廛(してん)ヲ建ツ 之ヲ浅草瓦町続横町ト唱ヘシヲ明治2年合セ5年又徳川義宣邸ヲ併ス」。

嘉永図では、奥州街道を挟んで西側に2ヶ所、東側に1ヶ所「瓦町」と記されている。東は浅草瓦町続横町で、北は松平伊賀守、御書替役所三雲新左衛門邸である。この松平、三雲両邸も浅草瓦町であったが、延享年中(1744~1747年)公収されて松平、三雲両邸になったという。千川上水が通じていたが、1787(天明7)年に埋め立てられた(備考)。瓦町地先には本所横網町に至る富士見の渡しがあった。1828(文政11)年の家数100軒。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、浅草瓦町続横町、三雲邸即ち書替役所が合併。1872(明治5)年、信濃上田藩松平氏上屋敷を合併。同年の戸数151・人口594(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。

1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、当時の柳橋二丁目、当時の浅草橋二・三丁目に編入となり消滅。現行の浅草橋一丁目30番、浅草橋二丁目1番、柳橋二丁目6番。

撮影場所:浅草瓦町

撮影地:台東区柳橋二丁目6番2号(セブン-イレブン台東柳橋2丁目店)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:品川歩行新宿