【浅草①024】浅草老松町

町番号:浅草①024

町名:浅草老松町

読み方:あさくさおいまつちょう Asakusa-Oimatsuchō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1934(昭和9)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「浅草」

現町名:台東区鳥越二丁目

概要:前身は浅草寿松院門前。寿松院は「不老山」と号し、浄土宗京都知恩院の末寺。1594(文禄3)年、相模小田原から鍛冶橋内に移転。1601(慶長6)年、柳原雁淵に転地。1644(正保元)年、新堀川南端西側に移転。門前町屋は柳原にあった頃に開設されたが年代は不詳。新堀への移転の際、従前どおりの開設を許される。1668(寛文8)年、黒鍬町(どこの黒鍬町かは不明)からの出火で類焼、翌1669(寛文9)年、284坪余を収公されて町域を狭め、さらに1732(享保17)年に再び類焼して火除地として収公されて移動。浅草福富町預り地を当町預り地とするよう願い出、1748(延享5)年に許可が下りて町域が定まった。821坪余。北側を俗に「北門前」といっていた(備考)。1828(文政11)年の家数45軒(町方書上)。

前身の浅草寿松院門前として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年に「浅草老松町」と改称。町名の由来は、山号と寺号から1文字ずつ採ったもの。町域東には新堀川が流れていて、最北東に架かる老松橋では浅草新旅籠町と往き来できた。1872(明治5)年の戸数83・人口345(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府浅草区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市浅草区に所属。

1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、鳥越二丁目に編入となり消滅。

撮影場所:浅草老松町

撮影地:台東区鳥越二丁目13番2号(寿松院)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。